MY BODY, MY CHOICE

MY BODY, MY CHOICE

MY BODY MY CHOICE
 by super-KIKI

(※性被害の経験が語られているのでご注意ください。)

私がこの言葉に出会ったのはフェミニズムというものに出会いはじめた頃だった。カナダのトロントで警察官が放った「レイプされないためにはスラット(尻軽)な格好をしないことだ」というセリフ。それに怒った女性たちが起こした抗議運動「スラットウォーク」の記事の写真に、あえて露出の多い服を着てこの言葉のプラカードを持った人々の姿があった。

「怒っていいんだ」と、思った。そんな当たり前のことに、気付けなかった自分がいた。幼い頃から自分も、周りの友達も、突然同意なく性的な行為を見せつけられたり、身体を触られたりすることが決して珍しいことではなかった。学生時代には毎日のように電車で痴漢に遭っている友達もいたくらいだ。私が初めて性被害に遭ったときは、それがどういう意味を持つのかすらわからなかったけれど、とにかく怖くて、立ちすくんで涙を流すことしかできなかった。30年以上前のことだが、今でも泣きながら見つめていた階段の隅を鮮明に思い出せるくらいに脳裏に焼きついてしまっている。それでも、私は同時に言い聞かせていた。「しょうがないことなんだ」と。スカートをはいていたから、一人でいたから、「女」だから、これぐらいみんなされているから…。幼い私にすらそう思わせていたものはなんだったのだろうか?今ならわかる。

勇気を持って自分の被害を告白する人々のおかげで少しずつ変わってきたものの、いまだに「気のせいなんじゃない?」「自意識過剰」「売名行為」「ハニトラだろ」「そんな格好してるから」「それくらい笑って流せるのが賢い生き方」などなど、被害者のせいにさせようとする呪いの言葉でこの世はあふれているからだ。被害者の多くにはショックの大きさを和らげようと「なんでもないことなんだ」と自分に言い聞かせる、いわゆる正常化バイアスがかかる。それすらも利用し、私たちから怒りや悲しみの感情と表現を奪う卑怯な行為だ、と今なら思える。 

私の身体のことは、私が決める。どんな格好をしていようが誰も私の身体を好きにする権利はないし、誰を好きになるかも、ひとりでいるのかも、子供を持つも持たないも、安全に妊娠を、中絶を選ぶことも、「自然」であるかも「不自然」であるかも、どんな状態であるかは、誰の指図も受けず、自分で決めていい。そしてそのための正しい知識や医療にアクセスする権利がある。

「性と生殖に関する健康と権利(SRHR)」は、すべての人が持っています。しかし、隙あらば支配しようとしてくる奴らのせいでこの権利が侵害されまくっている。(我々にある果てしないパワーをビビってるんでしょうね)

米国でトランプが再選された後「Your Body, My Choice(お前の身体のことは俺が決める)」というとんでもね〜言葉が男性たちから出回ってるし、反LGBTQ + 政策、特にトランスやノンバイナリーの存在を否定する動きが強まっている。

ジェンダーギャップ指数118位(146国中)の、ここ日本でも、公共空間でセクシズムがあふれているし、緊急避妊薬へのアクセスも難しい。「女性」の身体を管理してやろうとする力を、そこら中から感じてしまう。そして「女性」「男性」の二元論がら外れた人たちを排除しようとする陰湿な言葉はSNSで今日も飛び交う。

けれどどれだけの権力者や多くの人が否定したとしても、実際に我々は存在するのだから消すことはできない。人間は元々多様であるという事実の複雑さを受け止められず、今あるシステムの単純さに押し込むことしか考えられなくなっているのだと思うが、それゆえに起こっているトラブルは複雑さを学ぶことでしか解消できないし、それでますます被害を被るのはまた女性や性的マイノリティなのは言うまでもない。難しくても、複雑なものを見ようと目を凝らさなければ、より良い社会の作り方などわからない。多様な選択を互いに尊重するこのフレーズは、大きなものの支配からの抵抗と、共存のための力強いメッセージだと思う。

 

MY BODY MY CHOICE
by REINA TASHIRO(FRAGEN)

いちばん遠い存在は?と聞かれたら、「自分の身体」と答えると思う。わたしにとって、目の前のセクシストよりも自分の身体のほうが嫌悪の対象だった。

毎月生理がくる。そのたびに驚きながら「まじで下半身、他者」と嘆く。なんだこれは。無から他者を生み出すプロジェクト「出産」は(経験したことないのだけど)、想像するだけで混乱して途方に暮れてしまう。

わたしたちの身体は、わたしたちのものになったことがない。それぞれのものなのに。わたしたちが決めていいのに。人間は他者をコントロールしたがるのに、こちらは自分の身体さえままならない。

眼差しは、暴力である。えろい身体にならなきゃ。「モテる女」になりたい。いわゆる社会の期待に応えるための苦しい時期が続いた記憶がある。貧乳を揶揄われたときは笑いながらみんなと一緒になって自分の身体を蔑んだ。ヘラヘラする武器しかなかった。

「身体を、どうやって取り戻そうか?」と考えてみる。簡単にはいかないけれど、自分の存在くらい他者化せずに死ぬまでともに生きていきたい。そう思って、日常のささやかな抵抗から人生を賭けた壮大なプロジェクトまで、おそるおそるいろんな実践をしてみた。

ミニスカを履いてみる。寝起き顔で外に出る。毎日自分のためだけに料理をする。愛想笑いをやめてみる。飲み会でフェミニズムを語る。自分の好きなところを書き出す。「わたしなんて」と思わない(思っても言わない)。一晩中、不条理に憤る。脱毛をやめて毛を愛でる。「それ、ハラスメントですよ」と言う(一回成功)。娘たちのミソジニーを強化してきた母と距離を置く。自ら性的主体になってみる。性加害者と10年越しに赦しの対話を試みる。

まだまだ道半ば。
だからみんなと考えたい。
どうやって、自分の身体を取り戻す?

 

MY BODY MY CHOICE
by MIZUKI KIMURA(FRAGEN)

家制度廃止から78年。
女性差別撤廃から40年、男女共同参画から26年。
私は35歳。まだまだ道半ば。

20代の最初に、オーストラリアのアナーキー的コミュニティにいた時、久しぶりに使えた個室のシャワーでなんとなく伸ばしっぱなしだった腕の毛を剃る。

すると当時好きだった男が、なぜ!それはナチュラル じゃない。と言った。私は非常に驚いた。晴天の霹靂。こんな世界線があるなんて夢にも思ってなかったから。そして、そんなこと言うあなたが好き、と思いながら、私が毛をなくそうが生やそうが私の勝手だろう。と思った。し、言ったと思う。この時、はっきりと私の中に新しい価値観が芽生えたのを思い出す。

山手線に毛が生えたまま乗るのは精神的に困難だった。ノーブラで歩くのも然り。当時は女友達にもブラしなよとよく言われた。肌を出していると、堂々と見てくる男に見てんじゃねえよと言わなけばならない。気が弱っていると、それもできずに他人に消費されたように思える。

それでも、自分の選択を社会通念に邪魔させたくない。公共空間にもセクシズムが未だはびこるこの国で育つ全子供に伝えたい。  

あなたの身体はあなただけの為に存在しているんだよ。 

気が強くて、意見する自由がある限り、女が被る理不尽な苦しみを声に出し続けたい。妻は無能力とされていた80年前から女性参政権運動をし続けた先人の強さを見習って。

笑って流すしかなかったジョークが罪になる世の中へ希望を見出して、いつか、遊ぶことも学ぶことも許されず、少女のうちに結婚させられたり、男児じゃないとわかったら暴力を受けて中絶させられるような社会も変えていけますように。

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